ボストン、ニューヨーク
- 2002年9月9日(月)
今朝は6時半に起床。身支度、朝食。今日は泊まっているホテルの前(実際はロビー)に集合。
その後ヒルトンホテルで再集合、点呼(笑)。
今日のNY半日観光はバス。エンパイアステートビルにのぼった。テロの影響で、入場時に
空港のようなセキュリティーチェックがあったし(ベルトのバックルでばっちりひっかかった(笑))
もっとも高い展望台には行けなかった。それでもビルの86Fにある展望台は十分高かった。
マンハッタンを一望でき、ブロード・ウェイもよく見えた。ちょっとガスっていたけど、
東西を流れる川もよく見えました。川にかかる橋の位置関係を学びました(笑)。
あとはメトロポリタン美術館とセントラルパーク以外は車窓見学。国連本部は、開催が近い
ということで中に入ることができず、これも車窓見学でした。残念だった。でも国連の外に
掲げられた加盟各国の国旗には、目を見張るものがありました。アルファベット順に並んでいて
最初がアフガニスタン、最後がジンバブエだそうです。カーネギーホールは後で通りかかったので
写真が撮れました。セントラルパーク・・・というかメトロポリタン美術館周辺で散歩する時間が
あったのですが、その時、ガイドさんではなくバスの運転手さんがいかしていたので、一緒に
写真を撮ってもらいました(笑)。半日観光はヒルトンホテルに戻ったところで終了。
お昼どうしようか・・・と言いながら、友達の希望でセントパトリック大聖堂へ向かう。私の中では
大聖堂と言えばあれしかないと思う(この「あれ」が分かる人は、私と「あれ」をよく知る人
だけかもしれないね(笑))。お昼にふさわしそうなお店が見つからないまま大聖堂に到着。
11:30過ぎだった。建物の写真を撮って中へ入った。12:00からミサがあるというので、お昼の話は
とりあえず置いておいて、ミサを待つ。ミサでは、何を言っているのか・・・う〜ん・・・ちょっと
分かったかな(笑)。周りの人に合わせて立ったり座ったりしてました。信心深いですよね。
12:25にミサ終了、大聖堂をあとにした。
お昼をどうしようか・・・とまた考えながらふらふら歩いてたどりついた先はディズニー・ストア(笑)。
こういうところじゃ、中に食べ物屋さんはないよね・・・と思いながら店内散策。食べ物屋さんは
なかったけど、ひとしきりディズニー・ワールドを楽しんで、なぜか写真も撮って店を出た。
お昼は午前中のツアーのガイドがおすすめだと言っていたサンドウィッチ屋に決めてそこへ向かう。
2人で行ったら1人前で十分だというガイドのアドバイスに従って、おすすめのメニューを1人前注文。
確かにこれで十分・・・というところを写真撮影(笑)。
お昼を食べた後に、昨日に続いてNY在住の知り合いに電話するがつながらない。
午後の予定は特に決めていなかったが、アメリカ自然史博物館に行くことにした。地下鉄に
関しては昨日メトロポリタン美術館に行った時と同じ。今日はuptownとdowntownを間違えない(笑)。
ちゃんとuptownに乗った。
アメリカ自然史博物館は入り口がいくつもあるが、B線かC線の81st駅で地下鉄の改札を出ると、
そこはまさに博物館の入り口である。建物直付けであった(笑)。
アメリカ自然史博物館もまた大きい。宇宙、生き物の進化、恐竜、アジアの民族、アジアの
哺乳類を中心にまわった。ギフトショップにも立ち寄った。
博物館をあとにして(夕食にはまだ早い17:00頃だったので)1度ホテルに戻ることに。帰りがけに
今日も明日の朝食を買った。
夕食はチャイナ・グリルという店に入った。店に入ってすぐに(←ポイント高い(謎))、
予約はしてあるか?と(当然)英語で尋ねられたが・・・残念なことに聞き取れなかった・・・。
席について、あ・・・そういう意味だったのかと分かった。席に着いてから、この店では、注文した
料理を各自で取り分けて食べるのが普通だという説明を受けた。きっと量が多いに違いないと
踏んで、注文は1皿にしたが、それでも2人では食べきれなかった。
ホテルに戻り、恒例の(笑)お金の整理をした後お風呂に入って今に至る。おつりを適当に多く
くれるので、相変わらず小遣い帳と現金の残りの金額が合わない。
- 2002年9月8日(日)
6時前に起床。今日も目覚ましより早起き。昨日買ってきておいたパンとジャムとコーヒーで
朝ごはんを済ませる。
7時にホテルを出てオプショナルツアーの集合場所へ向かう。今日のLIBERTY島へのツアーは
客6人+ガイド1人=7人にて。地下鉄で、マンハッタン最南端(?)、LIBERTY島へのフェリーが
出るところ(White Hall駅)へ向かう。White Hall駅は、通常localしか止まらない駅。つまり、
expressに乗ったのでは通り過ぎてしまうか、手前で降りて乗り換えなければならない・・・はずが。
なんでも週末はexpressがlocalになってしまうという、日本ではあまり考えられない(新幹線
とかは日によって運行される列車が違ったりしますけど)状況が発生するらしい。
今日もそれに該当するらしく、expressに乗っていったが、ちゃんとWhite Hallで止まった。
(あとで分かったのだけど、この手のダイヤ変更に関しては、ちゃんと駅に張り紙が出ています。)
White Hall駅から少し歩いたところからフェリーに乗ってLIBERTY島へ。自由の女神は(私が
勝手に予想していたのより)小さいものでした(謎)。島を1周して(所要時間15分くらいかな)
visitor centerでお土産を買ってまたフェリーでマンハッタンに帰る。帰りは行きと違って、
かつて移民局のあった島へ立ち寄った。
マンハッタンに戻ってからまた地下鉄に乗って、朝集合した場所で解散する予定だったが、
客6人のうち(私たち2人も含め)4人は、WTCに跡地に案内してもらうことになった。
(その他の2人は昨日WTC跡地へ行ったということで、ここでお別れした。)White Hall駅から
歩いて15分くらい。近くの教会には多くの慰霊の品が置かれていて、私も旗に名前を書かせて
もらってきた。教会の柵1周ぐるりと物が置かれているのには、心打たれるものがあった。
ツアー一行とはここで別れて、WTC跡地のview pointへ。跡地はまださら地にもなっていない。
ここに何を建設するのか、今年中に結論が出る予定らしいが、それはどうやら難しいらしい。
地下鉄に乗り、ホテルの最寄り駅にて下車、スタバでお昼のサンドウィッチ、DELIで水を買って
ホテルへ。部屋でお昼ご飯を食べた。足は結構疲れてたかな。
予定通り午後はメトロポリタン美術館へ向かった。地下鉄のB線かC線のuptownに乗って、
81st駅に行くはずが、uptownとdowntownを間違え(これはホームの表示が日本と違うのに
だまされた・・・)、downtownに乗ってしまった。駅名の数字(序数)が増えなければならないのに、
着いた駅では数が減っていた。電車を間違えたことにすぐに気付き、とりあえず下車。
そこでuptownに乗り換えようと思ったが、その駅はuptownとdowntownのホームがつながって
いない駅だった。ニューヨーカーじゃない(笑)私たちはどの駅がuptown⇔downtownの乗り換えが
可能か分かりません。そこで、ホームで電車を待っていた同世代と思われる女性に聞いてみると、
もう1つdowntownで戻れば、uptownに乗り換えができる駅だと言う。彼女も同じ方面に
(81st駅方面に)行くと言うので、一緒に連れてってもらう(笑)ことにした。
無事に81st駅で地下鉄を降りたものの、Central Parkをえらい長いことお散歩して(笑)、
やっとメトロポリタン美術館に到着。ボストン美術館での教訓を生かして、今日は見るところを
決めて(アジア系、楽器系、19Cのヨーロッパ系)まわり、その後SHOPで買い物をした。
明日の午前NY観光のオプショナルツアーを申し込むため、今日もヒルトンホテルのJTBへ行った。
ヒルトンホテルの電話から、NYに住んでいる知り合いに電話したが、残念ながら留守電。
メールを送っておいた(彼女とは、NYで会えればいいですね♪という話をしていた)。
夕飯はアメリカンイタリアンのお店で鶏肉料理。これはかなりおいしかった。フランスパンも
それはそれはおいしかったです・・・(笑)。紅茶(またはコーヒー)とデザート(やたら多い)を
食べて、さぁ会計・・・と思ったらいかにも金額が大きい。ということで店員に訂正を頼み無事終了。
一度ホテルに戻った後、「あ・・・明日の朝ごはんは?」ということになり、DELIへ行ってきた。
再びホテルに戻ってお金の整理をして、おみやげをスーツケースに詰めてお風呂に入って今に至る。
明日のツアーは人がたくさんかもしれないね。
- 2002年9月7日(土)
今日はボストンからニューヨークへの移動日。10:30に1Fロビーに集合だったので、8:30起床予定
だったが、8:00過ぎに、寝ていられなくなり起きた。
一通り支度をした後朝食をとる。そんなことはないだろうと思いながらも、チェックアウトが10:00
だったらどうする!?ということになり、とりあえず10:00にロビーへ。
(向こうのホテルがそうなのか、私たちが泊まったホテルがそうなのかそれは分かりませんが、
チェックアウトは12:00で、日本で考えるのよりはかなり遅めでした。)
10:00過ぎ、これまでお世話になったガイドさんではない人が迎えに来られた。コンコードへも
(貸切で(笑))連れて行ってもらったガイドさんが来て、一緒に写真を撮れると思っていた
私たち2人は、微妙に気落ちするがチェックアウトを済ませる。飛行機の時間に合わせていくのには
まだ時間があるということでロビーで待機。すると10:20過ぎ、お目当ての(笑)ガイドさん登場。
客2人に2人のガイドさんで空港まで(豪華(笑)?)。空港で3人で無事に写真撮影。
空港内へは今朝早く来てくれたガイドさんが同行してくれた。
空港のセキュリティーチェック。行きの成田でひっかかり、ヒューストンでひっかかっていた私。
今日もしっかりひっかかった。たぶんベルトのバックルが大き過ぎたんだろうなぁ(はずせ(笑))。
ボストンからニューアーク空港までは1時間半弱の飛行予定だった。飛行機はずっと不安定で
上下左右前後に揺れ放題だった。ボストンを発ってから40分くらいたった頃、いすのリクライニングを
元に戻し、シートベルトを着用するよう指示が出た。落ちるのではないかとかなり不安になった。
どうするよどうするよ!?と騒いでいるうちに、50分くらい発ったところで着陸してしまった。
飛行機が不安定すぎて、どこか手前の空港に降りてしまったのではないかと不安になりながら
飛行機から降りる。なぜか座ったままの人たちがいるからさらに不安をあおられた。
同乗していた日本人の男の子(同い年くらい)と話しながらビルに入っていったが、
彼も同じような不安を抱えていた。
無事にそこはニューアーク空港であった。1時間半弱の予定を50分で飛んでしまうとは
どういうことなんだろう〜(笑)なんて笑いながら、荷物を受け取りに。
やたら早く着いてしまったので、お迎えが来るまで少し時間があった。自由の女神の後ろ姿を
見て(車内からね)ハドソン川を渡りホテルへ向かう。ホテルは57th streetの、9th av.と10th av.の
間にある。ボストンで泊まっていたホテルに比べれば、かなり大きなホテルであった。
明日の午前中の自由の女神へ行くオプショナルツアーを申し込むことになり、ヒルトンホテル内に
あるというJTBの事務所へ向かう。そこでは無料でnetができるようになっていて、メールボックスを
開いたが、時間がなかったので未読メールを読んだだけで返信はしなかった。
一度ホテルに戻り夕食の検討をする。友達が手紙を出したいというので、再びヒルトンホテルへ。
JTBで切手が売っているところはないかと聞くと、ヒルトンホテルのCONCIERGEで売っているという。
CONCIERGEで¢70の切手を買って、友達は無事街のポストに投函できた。
アメリカに来て5日目、どうしてもそばが食べたくなってそば屋に入った(笑)。私は普通にそばを
食べたが、友達は「そばサラダ」というのを食べていた。結構hit!?
明日は午前中自由の女神へ行くオプショナルツアーに参加した後、午後はメトロポリタン美術館に
行く予定。メトロポリタン美術館はボストン美術館よりもさらに広い。世界最大級だ。JTBに置いて
あったPCで天気を調べてみたところ、当分は晴れが続くみたい。アメリカに来て、雨は降っていない。
- 2002年9月6日(金)
レキシントンとコンコードはボストン郊外にある街。独立戦争の舞台となった街ということで、
これは行かなければならないということになった(4日夜)。しかしこの2つの街は交通の便が
よくなくて、どちらかへ行けたとしても、そこからもう一方へ行く交通手段がない。
というわけで、オプショナルツアーに参加して車で連れて行ってもらうことにしていた。
オプショナルツアーといっても、今日のこのツアーの参加者は友達と私の2人だけ。
ガイドの方に、「今日は貸切ですよ(笑)。」と言われ、3人で笑った(笑)。
コンコードでの戦いもレキシントンでの戦いも、植民地側の農民兵より英国軍の兵の方が
圧倒的に数が多かったという。しかし農民兵は山野でゲリラ戦を展開し、英国軍を悩ませた。
農民兵たちは、(農民兵というのだから当然なのだが)普段は農民として生活していた。
「1分で戦闘態勢に入れる」という意味で、「ミニットマン」と呼ばれた。
その、革命派ミニットマンたちに、英国軍の進撃を伝えるべく、夜中ボストン〜レキシントン・
コンコードの道を走り続けたのが、ポール・リビアであった。独立戦争はここで口火を切った。
ミニットマンの銅像はレキシントンにもコンコードにもある。農民兵にしてはかっこよすぎる(笑)?
Visitor Centerには当時の英国軍の兵の服や、武器が復元されていた。農民兵の格好は、
みなばらばらだったという(ミニットマンだから)。火縄銃に、火薬を入れ始めてから撃つ
までの、一連の流れが写真で説明されていたが、まるで江戸時代の日本の鉄砲隊の説明を
見ているようだった。
『若草物語』ゆかりの地も訪れた。オルコット一家が住んでいたOrchard Houseや、
オルコット一家の父が建てた学校を見ることができた。オルコットさんは今でいう音楽や体育を
教育に取り入れていたため(今では普通だが当時は受け入れられなかったそうである)、
何度も公立学校を首になり、最後には自分で学校を作ってしまったという人である。
当時の大人向けの学校だったそうだ。
ホテルに戻る途中、ガイドの方から、Boston Redsoxが、ボストンに戻って本拠地で試合をしている
という情報を入手する。私たちがボストンに着いた頃には、RedsoxはNYに遠征していてボストンには
いないと聞いてがっかりしていたのだ。球場まで行ってチケットブースを訪ねれば、$20くらいで
当日券が手に入るかもしれないと言われ、球場までの行き方を教わって球場に行ってみた。
地下鉄で、1度uptownからdowntownへの乗換えがあるもののホテルの最寄り駅から6、7駅と
近かった。期待して行ってみたものの、時間が早すぎたらしくチケットブースはまだ開いて
いなかった。地下鉄全体では本数は十分にあるのだが、ホテルの最寄り駅に通っている線
Green Lineの、ホテルの最寄り駅の方まで来るE-Lineはあまり本数が多くない。また往復するのは
大変なので、球場のチケットブースでのチケット入手はあきらめる。ちょっとがっかりした。
(球場へ行くのにホテルの最寄り駅でトークンを買っていると、ユタ州から来たという老夫婦に
声をかけられた。ボストンの地下鉄に乗るのは初めてだから地下鉄の乗り方を教えてほしいと
いう(笑)。友達と顔を見合わせて笑いながら、トークンの買い方を教えてあげた。"$1 each, OK."と
おっしゃっていました(笑)。そしてどの駅に行きたいのかをたずねると、私たちが
乗って行こうとしていたuptownの方向の駅だったので、このホームで合っていることを伝えた。
先にも書いたかもしれないが、この駅はuptownとdowntownのホームがつながっていない。
だから1度改札を入ってしまうとまた出て入りなおさなければならない、と思いきや、
無人駅で改札も通り抜けるだけなので、そういう問題はまったくない(笑)。
計4人が改札の中へ入った。友達と2人でホームのベンチに腰掛けて電車を待っていると、
その老夫婦はまた話しかけてきてくれた。まず(こっちの学校に通っているのか)旅行なのか
聞かれたので、旅行中だと答えると、"We are tourists,too. Same to you!"と言ってくれた。
確かにいくらアメリカ人でも、ボストンの地下鉄に乗ったことのある人は少ないだろうと思った(笑)。
同じ地下鉄に4人で乗り込んだ。降り際、"Bye!"と声をかけると、"Bye!"と返事があった。)
しかし私たちの泊まっているホテルの近くにある(笑)ホテル、シェラトンホテルでも
Redsox戦の野球のチケットは売っているという。ホテルで買えるチケットだから、割高なのは
分かっていた。でもあるかどうか聞くくらい、恐いことじゃない。思い切って聞いてみた。
きっと向こうも相手が観光客だということを察知したのだろう。ここにあるチケットは高いから、
という意味でだと思うが、やっぱり球場に行けという話になった。地図を出して球場までの道を
丁寧に説明してくれた。でも私たちはすでに球場に足を運んだ後である。もう一度、
ここにはないのか?とたずねると、1番安い外野席で、$30だという。球場の
チケットブースでは$20くらいだというから、さすがに$30は高い。1.5倍だ。
残念に思いながら、ボストンでの野球観戦はあきらめた。
夕飯までの時間、街の中心にある大きなショッピングモールで買い物をすることにした。
屋内のショッピングモールなので、雨の日でも楽しめると、ガイドさんおすすめの場所だ。
シェラトンホテルからショッピングモールに入ってすぐのところに、netができるところを発見!!
net cafeというのではなく、ショッピングモールの道の真ん中にPCを並べているお兄ちゃんがいる
という感じだった。PCは全部で5台くらいだっただろうか。15min.で$3。高いなぁと思ったが
メールを送りたかったのでお願いした。誰にメールを送るか、どんな内容にするか、
全く考えていなかった(笑)。なにせ突然目の前に現れたnetができる環境。何も考えずに
飛びついてしまった。送ったメールの内容・・・薄そうだなぁ・・・。でも生きてる報告には
なったはず(笑)。結局28min.くらい使って、$6払った。
ショッピングモールでおみやげを少し買った。あちらこちらでおみやげを徐々に買っているから、
日に日に、少しずつスーツケースが重くなっていく。NYへの移動、大丈夫かね(笑)。
夕飯は日本料理屋に入った。やきうどんを頼んだら、3人前くらい出てきた。
普通に1/3くらいしか食べられなかった。持ち帰るか、と聞かれたが、おなかいっぱいで
それどころではなかった(笑)。朝ごはんを買ってホテルに戻ってきた。
明日はNYに移動する。
- 2002年9月5日(木)
昨日の夜、22時過ぎに寝たため、今朝は7時頃、寝ていられなくなり、目覚ましより早く起きる。
昨日時差ぼけをおして(海外旅行なのだから仕方ない)1日中街の把握に精を出した。
疲れた気分を、1杯の味噌汁でカバーする(笑)。時差ぼけはもう治った。
早く起きたのはいいが、美術館は10時からなので暇人であった。9時(日本時間22時)頃、
自宅に電話を入れる。もちろんコレクトコールだ(笑)。家族は全員在宅、みんなと話せた。
9時半頃、ホテルを出発。ホテルから美術館はとても近い。地下鉄2駅分。歩いていくことにした。
美術館の前で写真を撮る。建物の大きさに圧倒される・・・。10時の開館に合わせて中に入った。
晴れて学割にて入場券を購入。$13であった。入場券はなんと30日間有効である。
チケットを確認されるところで、「これは30日間有効だから、絶対に戻ってくるように。」と、
しつこく言われた(笑)。"Come back!"ってなものであった(笑)。
1階から見始めて、1階の3/4くらい見たところで、かなり疲れたmode。
少し休憩して、1階は見てしまおうということになる。1階を見終わってから1度外に出る。
きれいな芝生を見ながら、考える・・・お昼は中のCafeで食べよう・・・ということになった。
Cafeに入って、"New England Seafood Chowder"というチャウダーをいただきました。
ボストンはニューヨークと同じように海に面した街なので、魚介類はおいしい。
そしてチャウダーは有名。これはかな〜りおいしかったですね(笑)。2枚クラッカーが付いてました。
午後は2階にトライ。午後になると、美術館内の絵をスケッチする、同世代くらいの人が
たくさん現れました。美術館付属の美術学校の学生さんたちかなぉと思ったわけですが。
みなさん、いすを持参して絵を描いていました。
結局疲労のため、2階は途中で断念。明日足が筋肉痛にならないことを祈る・・・。
帰りは地下鉄に乗って帰ってきました。美術館の最寄り駅は"Museum"という駅なんですが
(分かりやすいですね(笑))、地上に出ている駅で、"Museum"という駅の看板もないのです。
美術館の最寄り駅ですから写真も撮りたかったんですが、ただひさしの付いた小さなベンチが
2つくらい?置いてあるだけで。当然トークンを買う販売機もありません。地下鉄で移動する時には、
帰りの駅にトークンの販売機がないといけないから、行きに、帰りの分も買っておくのがセオリー。
でも今日は行きは歩きで地下鉄に乗っていない。当然帰りのトークンもない。
どうすればいいのかぁ・・・と考えていたが、とりあえず乗ることにする。
乗って何もしていないのに、車掌さんは何も言わない・・・。乗ってくる人を観察して、
どうやって支払いをしているのか調査調査調査・・・。でもみんな定期券だかメトロカードだかを
カードリーダーに通したり、トークンで払ったりしている。カードもトークンも持っていない私たちは、
どうしたらいいのぉ・・・と思っていると、最後に乗ってきた同い年くらいの男性。なんと$1札を、
カードリーダーの付いた機械の側面にある穴に押し込んでいるではないか!!
しかもしばらくするとその$1札は、機械の中へと吸い込まれていった・・・。友達と顔を見合わせ、
よし、うちらもそうすればいいんだ!!ということで、彼と同じように$1札を機会の穴に
押し込みました(笑)。なんともアバウトですね・・・でもこれで、トークンがない時の乗り方を
覚えました。
ホテルに戻ってベッドにばたんっとなったのが、17時くらいだったと思う。夕ご飯を食べるため、
また18時頃出かける・・・予定だったが、2人とも眠りこけて、起きたら22時過ぎであった。
これからご飯を食べに出かけるのは危ないし不安。お風呂に入って今に至る。24時過ぎである。
寝よう、明日は8時起床。レキシントンとコンコードへ出かける。
- 2002年9月4日(水)
ボストンの街は狭く、おおまかに把握するのは簡単であった。
午前中、MIT、ハーバード大学、ビーコン・ヒル、州会議事堂、茶会船、クィンシー・マーケット、
トリニティチャーチをまわり、コープリースクエアにて解散(のはずがホテルの前でツアーから離脱)。
クィンシー・マーケットは大きなフードコートで、ここで昼食。アメリカのスタバにはshortサイズがない。
というかアメリカのスタバを日本に持ち込んだ時に日本人がshortサイズを作ったのだろう。
最小のサイズはtall、普通に飲みきれなかった。しかも売っている食べ物も1つが大きい。
クィンシー・マーケットで、微妙に日本語の分かるおじいさんに話しかけられた。
「こんにちは。」というので日本語が分かるのかと思えば、あとはほとんど英語での会話だった(笑)。
だけど、学校はまだ始まっていないのかとか、美術館は行ったかとか、大学は見てきたかとか、
結構長いことお話してました。陽気なおじいさんでした。そして、ボストンのガイドブックはほしいか、
と聞かれたので、ほしいと答えると、そうかそうかと言ってすこしぼろぼろになったガイドブックをくれた。
しかしそのガイドブックは、その辺に置かれていて誰でもただで持っていっていいものだと判明した(笑)。
でもおじいさんのおかげで、楽しいお昼ご飯であった。
いったんホテルに戻った後、MITとハーバードはどうしても見足りないということで、今度は地下鉄にて
大学めぐりへ。地下鉄は$1のトークンを1つ買って乗る。観光で行くような近いところはどこまででも
これで行ける。ゆっくりと写真を撮って景色を楽しみ、ボストンの学生の気分を味わい生協で買い物をし・・・。
お店の人はみな陽気な人ばかりで、アメリカは恐そうだ・・・というイメージはどこかへ消え去った。
時差ぼけのせいもあって、1日中歩いて疲れもたまっていた。夕方再びホテルに戻って少し休んでから、
夕飯を食べに夜の街へ。夜の街といっても、サマータイムのアメリカは、19時過ぎまで明るい。
イタリア料理の店に入ってパスタを(友達はピザを)いただきました。やっぱり普通に多かった。
このお店がそうなのか、アメリカ人がそうなのか、イタリア料理がそうなのか、すこししょっぱかったなぁ。
そしてアメリカ人はお金に関してもアバウトらしい。この日は現金で支払いをした。確か¢14か¢16
くらいのおつりだったと思う。普通に、クウォーターを1つくれた。日本人の私は(笑)ちょっとびっくりした。
日本食が恋しくなることを心配してインスタント味噌汁を持参した私たち2人。しかしお箸がないことに
気付く。代わりになるものを求めて帰りに7-11に寄った。なんとも見慣れた看板と、なんとも見慣れた
店員さんの制服(笑)。スプーンとナイフとフォークのセットが8個(も)入っている商品を発見。
多すぎと思いつつこれを購入。
+水道の水は飲まない方がいいらしいので、ミネラルウォーターも買ってきた。ホテル帰着20時頃。
今日の朝、初めて、ベッドメイキングに対するチップを枕元に置いて出かけていた・・・。
お昼に部屋に戻ってきたら、ベッドやタオルは朝のままなのにチップだけ消滅。2人で「え゛!?」となる。
こりゃ、大問題だ・・・と思っていたが、夕食前に戻った時には、ベッドもタオルもきれいになっていた(笑)。
明日はいざ、ボストン美術館へ。午後はショッピングモールに行く予定。
旅先からメール送るね〜とあちこちに言いまくって出てきたものの、ボストンにはネットカフェが
あるのか(謎)。ニューヨークにはあると聞いているけど、ボストンについての情報は手に入れていない。
街が文化保存されているだけに、街を歩く限り(街の景色を見ている限り)なさそうだけど、
外観だけ古いものを残して、中は現代的にしている建物も多いらしいので、真相は分からないな・・・。
- 2002年9月3日(火)
とりあえずスケジュールを。
15:50@jp 成田発 → 13:45@HUSTON ヒューストン着 → 入国審査 →
15:50@HUSTON ヒューストン発 → 21:20@BOSTON ボストン着。
ホテルに着いたのは22時をまわった頃だった。座りつかれ、眠りつかれた。
機内食は2回と聞いていたのに、ヒューストンまでで3回、国内便で1回の計4回だった。
国内便で出されたものは食べられるはずもなく、ただただ到着を待ちわびていた。
ともにコンチネンタル航空であったが、機内は寒かった・・・。
フライト途中で夜明けを迎えた。見たことのない景色であった。
all自由行動といっても、いきなり自分たちで動くのは時間を無駄にする可能性が高い。
ボストンの街を一通り把握すべく、明日の午前中はボストン市内観光のオプショナルツアーにのる。