ヴェネチア、フィレンツェ、ローマ
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2004年3月21日(日) ローマ:曇り ミュンヘン:雨 / 2004年3月22日(月) 東京:雨
朝8:00、今日のドライバーがホテルの下に来た。という知らせをフロントの人から受け取った。 バウチャーの確認がなかったので若干不安はあったけど、ホテルの人に言われたことなので大丈夫と 2人で思い、車に乗り込んだ。ドライバーは英語をしゃべってくれる(日本語はしゃべれない)人だった。 昨日の騒ぎはなんだったのかたずねてみると、イラクでの戦争に反対する人たちのデモ行進だったことが 分かった(イラク戦争開始からちょうど1年の日だった)。ドライバーは時々、知っている日本語を披露してくれたり、 この単語は日本語では何と言うのかと聞いてくれたりして、すごく楽しいイタリア最後のドライブとなった。 空港に到着、短い間の付き合いだったけど、素敵な人だったドライバーさんとお別れ。
郵便局かポストを探してさまよったりしつつ、ゲートをくぐった。友達とはしばらく別行動で お互い空港の中でおみやげを探した。イタリアにお別れ。出国審査を無事済ませ、行きと同じ大きさの 小さい飛行機に乗り込んだ。経由地ミュンヘンは雨でした。トランジットの時間が短かったので、 急ぎ足で次のゲートへ。成田行きの飛行機に搭乗。
ミュンヘンから成田へのフライトでは、周りの人たちと打ち解けて、楽しい空の旅となりました。 妙に日本語をしゃべるドイツ人(だったっけ?)のおじさん。ロンドンで学生をしているという 同世代の男の子。日本で待ってくれる人のことを考えてたなぁ・・・。
成田は3月22日でした。お疲れさまでした☆
2004年3月20日(土) ローマ、ヴァチカン:晴れ→曇り
気合を入れて、早起きして、8:00にはヴァチカン美術館に並ぶ予定だった。それがそれが・・・この旅行で 初めての寝坊。一番寝坊しちゃいけない朝に寝坊したかもしれないと思いつつ、やっと朝ご飯に行ったのが 8:15(笑)。疲れてきてるから仕方ないかなっ。出発したのが8:40頃。地下鉄でヴァチカン美術館に向かった。
行ってみたら、予想はしていたものの、有り得ない長さの列。一番後ろに並ぼうにも、どんどん列が 伸びていくから、なかなか一番後ろにたどり着くことができなかった。もう地下鉄1駅分くらい 歩いたんじゃないかという頃、ようやく一番後ろを発見して並んだ。9:30頃から並び始めたが、 聞けば2時間くらい待たされるという話。しかし並び始めたら後には引けない!!お菓子を食べたり、 バカ話したりしながら一生懸命待った。ガードマンの予想通り(?)11:30頃中に入ることができた。 クーポラに上り、サン・ピエトロ寺院を観光。旅の思い出に、ヴァチカン内の郵便局から何通か はがきを出した。
もう1つ、ぜひ行っておきたかったのが真実の口。ということで、ヴァチカンでかなり体力を 消費したにもかかわらず、ここも気合で真実の口をめざすことにした。地下鉄で真実の口に 一番近い駅で降りようとしていたが、なぜか通過してしまった。この地下鉄は快速のような電車も あるということが分かっていたので、きちんと選んで各駅停車に乗ったつもりだった。 それが通過してしまったのだ。仕方ないので逆向きの電車に乗った。・・・しかし、またもや その駅は通過してしまった。仕方ないので、(昨日行ったし)次に近いということで、 コロッセオ駅で降りた。そして2人の目に飛び込んできたものは・・・デモ行進をする人々。 どうやらこの騒ぎが、電車が止まらなかった原因らしいということが分かった。 少し遠かったけど、そのデモ行進の人々に時たま紛れながら、真実の口を目指した。 微妙に道に迷った感じもあったが、無事に真実の口に到着。真実の口に手を突っ込んでちゃんと 写真を撮った。真実の口の隣にあるみやげもの屋でおみやげを探していたら、締め出されてしまった。 どうやら閉店時間だったらしい(外では騒ぎが・・・)。でもちゃんと買い物できたし、出してもらえました。 なんかちょっと冗談っぽかったよね(笑)。
デモ行進も終わった様子で、帰りはどうやら最寄の駅から乗れるらしかった。一生懸命券売機と 格闘して、駅員さんに聞いてまで切符を買ったが、人が多すぎるせいか、自動改札は開きっぱなし。 なんだ・・・切符いらなかったんだ・・・と思ったけど、無事に乗れたので言うことなし。 電車の中にもデモ行進の余韻が残っていた。電車の中で演奏しちゃってる人いたしね。 写真撮らせていただいちゃったり(笑)。無事にホテル付近に到着し、夕食を済ませてホテルへ。
2004年3月19日(金) フィレンツェ:曇り サンジャミアーノ:曇り シエナ:曇り ローマ:晴れ
8:00にロビー集合ということだったので、自分たちとしては着々と準備していたが、5分前頃 フロントから電話が入って、ガイドさんが来ているということで急いで部屋を出た(電話は ガイドさんからでした)。今日もガイドさん1人、ドライバーさん1人、うちら2人の計4人での移動。
ガイドさんの話を聞いたり、少し疲れが出たのかうとうとしたりしながら、サンジャミアーノを目指した。 サンジャミヤーノには街にたくさんの塔があり、周りとあいまってすばらしい景色を味わうことができた。 ガイドさんがハム屋さんと仲良しで、試食させてもらうことができた。いのししのハム。サラミなど。 これがまたおいしかったですねぇ(笑)。
次に向かったのはシエナ。道中、ローマの話で盛り上がった。ローマには今日着いた後と、明日1日の 自由行動の時間があるという話をして。この時間制限だと、バチカンを取るか、他のローマの見所を 取るかということになると言われた。バチカンははずせないので、明日は朝からバチカンに向かうということで 決定。しかし、他のローマの見所だって逃すわけにはいかない。協議の結果、今日少し早めにローマに 着くようにしてもらうことになった。そうすれば、夕方から夜までの間に、ローマの見所をいくつかは まわっておけるという算段だ。それもこれもガイドさんの人柄と、客がうちら2人というラッキーが うまい具合に重なってくれたからだ。ガイドさんには本当に感謝。
シエナには有名な競技場があり、大会の時にはシエナ中の人が集まるという。行った時には、この競技場 全体が人で埋まるって言われても、想像もできなかったんだけど。今日のお昼はシエナで。 前菜が、フランスパンの上にひき肉やら野菜やらが乗っかったもの。その後パスタとデザート。 デザートは甘くて1口2口しか食べられなかったけど、大満足のお昼だった。 イタリアの人は12時頃から15時(あるいは16時)頃までお昼休憩を取るらしい。おみやげ屋さんも しまってしまう。日本人は働きすぎか〜と思った瞬間でした。
予定通り(!?)少し早めにローマに到着、ドライバーとお別れ。ホテルにチェックインした後、 ガイドさんとも別れた。夕方からのローマ観光は気合を入れてがんばった。その甲斐あって、ガイドさんに、 そこまでは無理かもしれないと言われたコースをすべてこなした。
まずはスペイン広場。広い広場らしい広場で、かなりの人が集まっていた。階段になっているので、 一応一番上まで行った。この景色がまたすばらしい。あの広場に集まっている人は何をしていたんだろうねぇ。 人それぞれという感じだった。
アメックスに寄ってからトレヴィの泉へ。まさに世界史の教科書。美しく大きな彫刻とその前の泉。 ローマに来た〜!!という感じだった。この後歩きまくり、パンテオン、ナヴォーナ広場、 ヴェネツィア広場をまわった。この辺で周囲は暗くなり始めた。歩き回っている途中でも、 街並みにたびたび足を止めていた。
さて、時間がだいぶ押してきた感じはあったけど、コロッセオ。夜のコロッセオに出会えたのは 偶然だけど、ものすごくレアな経験だった気がする。真っ暗なところにライトアップされた コロッセオ。ローマのコロッセオ。中に入るには時間が遅すぎたので、外で写真を撮りまくった。 何か幻想的な風景で、2人とも圧倒されていた。
ホテルの近くのレストランで夕食。フレンドリーな店員さんがいて、英語で話してくれた。
2004年3月18日(木) フィレンツェ:快晴→晴れ
今日は6:30起床。早く寝ているせいで5:00頃から起きていたが、眠れなくても横になっていた方が 疲れが取れるだろうと思い、6:30まではベッドにいた。朝食は7:30からということだったので、7:25頃 部屋を出てホテルのレストランへ。ウッフィツィ美術館にはできるだけ早く行きたかったので、 朝食後、取り急ぎ歯磨きをして出発。ウッフィツィ美術館へ。
美術館の外にはすでに長蛇の列が できていた。この美術館にはTDRのFPのような予約制度がある。予約していない人の列らしきところに 並んだ。しかし、予約した人の列だと時間のロスになるので、友達が、前に並んでいた日本人に聞いた。 明確なことは分からなかったが(笑)、とりあえずその場所にとどまった。話しかけた日本人が 逆に話しかけてきた。「2人で来たの?」相手は60前くらいの夫婦。「はい」「すごいねぇ!!イタリア語 話せるの?」「いや、全部英語で」「ホテルなんかも自分たちで取ったの?」「いや、それは 旅行会社を通じてです」一体何歳くらいに見られたんだろう・・・。少し並んでウッフィツィ美術館に入った。 世界史の教科書で見た絵が次々と現れる。特に、「ヴィーナスの誕生」は美しかった。美術館内の みやげもの屋でパズルを購入。外に出たら、外はめちゃくちゃ暑くなっていた。
お昼は昨日のガイドさん おすすめの店に行くことにした。スパーダ通りにあるスパーダというお店。パンとお惣菜を売るお店で、 私はチキンとナスを買った。その店から程近い広場のベンチで食べる。こんな感じもたまには楽しい。 暑くなってきたので、コート(とおみやげ)を置きに一度ホテルに戻った。ホテルの隣の店で水を 3本買ってからホテルに入った。20分ほどして再びホテルを出発。メディツィ家礼拝堂へ。
メディツィ家といえば、高校の世界史の授業で散々話を聞いたところだ。中にある礼拝堂は、 お金と時間の費やされ方が半端じゃなかった。次に、フィレンツェの街を一望するため、ドゥオモに 上った。ドゥオモのクーポラは500段の階段を上ったところにある。ドゥオモに入った途端に、 心の準備0の状態でいきなり階段が始まった。すでに引き返すことは許されず、息を切らしながら一生懸命 上った。頂上での景色はすばらしく、写真を撮りまくった。クーポラから降りてきて、ヴェッキオ橋を 目指した。ヴェッキオ橋は昨日から、遠くの方から眺めていて、やはり行ってみたいということで 実際に行ってきたというわけ。橋自体も景色も美しかった。
夕飯はスパーダで買ってホテルで食べようと いうことになり(レストランに入るとテーブルチャージとチップを取られて無駄にお金がかかるので(笑))。 スパーダを目指して歩き始めた。途中でTシャツ屋に入って、友達とおそろい色違いのTシャツを購入。 共和国広場まで行ったところで、日本人グループ5人組と出会い、一緒にご飯を食べようということになった。 微妙に道に迷いつつ(?)、スパーダの近くのレストランへ。途中で、景色から判断して、 スパーダの近くだと分かり「これでスパーダに連れて行かれたら笑える」と2人で話していたが、 違ったらしい(スパーダは中で食べることもできるお店)。5人+うちら2人で楽しい食事ができた。 彼らは個人旅行で、全2週間の滞在だそうだ。食事後、共和国広場まで送ってもらい、5人とは別れた。
明日は6:30起き、7:30朝食、8:00ロビー集合で、ローマへ向かう。
2004年3月17日(水) ヴェネチア:(朝)霧→快晴 ヴェローナ、パルマ(、ヴォローニャ):快晴
今日は6:00起床の予定だったが、5:30頃、耐え切れずベッドを出た。6:00頃から、昨日買ってきた パンとウーロン茶で朝ご飯。ホテルの朝ご飯は時間が遅くて間に合わないので買っておいたのだ。 ホテルにいても仕方ないので、チェックアウトして82番ヴァポレット乗り場を目指す。
82番が来た ので乗ってみたら、乗るべきルートの逆ルートだった。船着場で岸にひもをかけるお兄さんに、 目的地に行くかどうか尋ねると、25分くらいで着くとのこと。安心して乗っていたが、結局35分 くらいかかった。これまたイタリア時間!?ローマ広場で現地案内人を探す、探す、探す・・・。8:00集合 だったんだが、7:55頃、telを入れようとトライ。ローマ広場のどのあたりで待てばいいのか 分からなかったので、確認したかったのだ。クーポンに場所が書いてあることは書いてあったのだが、 その場所が見つからない。インフォメーションで聞いても分からなかった。しかしtel使えず広場を うろちょろ。使えるtelを求めてさまよっていたら、現地案内人が私たちを見つけてくれた。集合場所 が分かりにくかったので、オフィスに伝えておくらしい(まぁ今度来る観光客の人の役に立ったの かな(笑))。出会った案内人の案内で、車(ベンツ!!)に乗り込みヴェローナへ向かう。 乗っているのはうちら2人とガイドとドライバー。すばらしき貸切。
ヴェネチアは数日前まで寒くて雨で最悪だったらしい。昨日のヴェネチアは「この街は雨が降るのか と思うくらい晴れていた」なんて話をしたら、すごくラッキーだって言われた。フィレンツェはピザ と肉、ローマはパルメザンチーズとシーフードを食べなければと教えてくれた。イタリア人は 『予定は未定』の人たち。それを受け入れれば住みやすい国だと言う。時間はゆったり、 コミュニケーション満載で。北(上)と南(下)の経済格差が大きく、経済の中心はミラノ。ローマ は田舎。パルマvsローマvsミラノ。サッカーもそう・・・。南から北への出稼ぎはかなり多いが、 北から南への出稼ぎはありえないと断定できるほどらしい。ローマ行ったら目で確かめる!? 標準語を話しているのはフィレンツェ。北は東北弁風でやわらかく、南はスペイン語なまりの イタリア語。フィレンツェで「コカ・コーラ」は「ホハ・ホーラ」。カ行の音がなくなるらしい。 分かりにくそう〜。そんな話をしてもらいながら車で移動、ヴェローナ着。
9:30頃に着いて、10:30までヴェローナ内自由行動。って言っても、観るところはガイドに聞いた ところで精一杯なんだけど。まずはロミオとジュリエットでおなじみの「ジュリエッタの家」を 見学。ジュリエッタの像と写真撮影。友達は家の中も見学したが、私は家の中のにおいに耐え切れず 内部の見学は断念。あとで話を聴かなくてはね。ジュリエッタの家の外の壁は、カップルの落書きで 埋め尽くされていた。友達を待つ間、それをじっくり観察したが、日本人が書いたと思われるものは 発見できなかった。民族的に落書きできない感じ!?ジュリエッタの家をあとにしてエルベ広場へ。 マッツィーニ通りの延長で、露店が出ていた。待ち合わせの時間が迫っていたので、少し急いで マッツィーニ通りを戻って、ブラ広場にあるマレーナへ。かつては闘牛vs闘牛や闘牛vs人間の闘い が繰り広げられたと言う。一番上までのぼって写真撮影。一歩間違えたら転がり落ちるのではないか と思えるほど、急な段々になっていた。
ガイド、ドライバーと合流してパルマを目指す。ガイドとの 会話が弾む。イタリアの水は硬いので、日本人の口にはあまり合わないらしい。特にフィレンツェ では消毒の臭いがきついそうで、それが鼻にくるので飲めないだろうと言う。確かに臭いがあると 飲めないかも。飲むならミネラルウォーターかぁ。イタリアではコーヒーと言えばエスプレッソ。 アメリカンコーヒーは注文すれば出てくるが、あくまでエスプレッソをお湯で薄めたものなのだ そうだ。これには笑った。イタリア料理が世界で一番だってイタリア人は思っている、なんていう 話にも通じるのかな。どうりでスターバックスが入ってきてない(実はマクドナルドはあった。 しかし軒数はかなり少なめだし、ガイドの話によると値段も高いらしい)。イタリアでは果物を 絞ってジュースとして飲む習慣があるそうだ。本格的にそれを味わいたいと思うなら、市場で果物を 調達(オレンジなら1kg=1ユーロ程度らしい)して、ナイフと絞り器を買うのがリーズナブルでは ないかと言う。イタリア人はおしゃれな人が多いですよねぇ〜なんていう切り口からこんな話に。 イタリア人には「年相応の服」というのがないらしい。日本だと、10代の人が着る服、20代の人が 着る服、・・・、60代の人が着る服・・・ってな感じのものがなんとなく雰囲気としてある。しかし、 イタリア人を見ていると、おばあちゃんでもいわゆる若者っぽい服を着ていたりする。夏は「へそを 出さないでどうする」という感じだそうだ。年に関係なく・・・。夏は40度近くになるらしい。
そんなこんなで(笑)パルマに到着。前はNAKATAがいたんだけどね〜。まずはドゥオモという教会 へ。中は壁一面フレスコ画。マリアが雲の中を昇天していく光景を描いた「聖母被昇天」も。 これだけ壁一面フレスコ画というのはめずらしいらしい。この辺り、お店や教会は12:30か12:00頃 一度しまり、夕方15:00頃まで休みになる。う〜ん・・・日本では考えられないすごい休憩だ。洗礼堂も 入りたかったが、12:30で終わりで入れなかった。パーチェ広場、ピロッタ宮前のレストランで昼食。 生ハムうますぎ。生ハム+チーズだったので、好きな人にはたまらないんだろうなと思った(笑)。 他にトマトソースのスパゲッティと、絞りのオレンジジュースをいただいた。友達はワイン。ワイン が水より安いというのは事実だった。そしてオレンジジュースよりも安い。周りのお客さんは9割以上 の人がお酒を飲んでいたと思う。昼間っから。アルコール分解酵素ありすぎ・・・。パルマではトロリ バスが走っていた。なかなかおもしろい光景だった。そしてフィレンツェへ。
途中で降りたサービス エリアで酒が売られているのを目撃。う〜ん・・・日本とはまた違うね。フィレンツェのミケランジェロ 広場で車を降りて、フィレンツェの街を一望。「すごい」の一言。ホテルまで送ってもらって ドライバーとお別れ。チェックインを済ませガイドともお別れ。一日お世話になりました。
めちゃ くちゃ喉が渇いていたので、ホテルの隣のスーパーで水を調達。その後、閉館間際のアカデミア 美術館へ。ミケランジェロのダヴィデ像を見た。世界史の教科書などで観て勝手に妄想していたが、 これが相当でかい。すごかった。デジタルダヴィンチなるものが設置されており、ネーミングに一人 笑ってしまった。一通りまわった後、夕食の店を検討。学生食堂のようなレストランに入って夕食。 ホテルに帰った。今日も一日お疲れさまでした。
2004年3月16日(火) ヴェネチア:快晴
7:30起床の予定だったが、6:00頃起きてしまう。7:00頃までベッドの中にいたが、別段眠いことも なかったので、ベッドを出て支度を始めた。8:00過ぎ、朝食を摂るためホテルのレストランへ。 同世代と思われる日本人男性2人に会った。昨日の昼間、ヴェネチアに着いたそうだ。スペインの マドリッドにいた時、テロがあったと言う。現場から2kmくらいのところにいて、音も聞いたらしい。 ミラノではセリエAのサッカーの試合を観たという話もしてくれた。また、ヴェネチアのゴンドラを 予約していて、今日乗るのだと言っていた。
8:50頃ホテルを出て、サン・マルコ広場に向かった。 ホテルからサン・マルコ広場までは歩いてすぐ。建物に目を奪われ、シャッターを切りまくり。 9:00から鐘楼に入ってのぼれるということで、9:00過ぎに行ってみたが開いていない。イタリア人の アバウトなところを体感。サン・マルコ寺院は9:45からということでこちらもまだ開いていなかった ので、海辺の散歩に出かけた。こちらも景色がすばらしくて、シャッター切りまくり。有名な嘆きの 橋を目の前にして、イタリアに来たんだなぁとかまじめに思った。明日の朝、一番に乗る ヴァポレットの乗り場を確認して、サン・マルコ広場に戻った。めでたく鐘楼が開いていたので、 チケットを買って中に入り、上までのぼった(エレベーター)。ヴェネチアの街を一望できると ともに、海の方も完璧に見渡すことができ、かなりの満足。360度残すところなくカメラにおさめ、 下におりた。
次に、引き続いてサン・マルコ寺院。外と違って空気が冷たく感じられた。聖書の内容を詳しく 知っていれば、壁や天井に描かれた絵1つ1つの意味が分かったのではないかと思う。・・・一応、 読んだことはあるんだけどね。詳しくは覚えてなくて(^-^:)。十字架に張り付けられた(絵ではなく )像は初めて見た(んじゃないかな)。
昨日考えた予定では、サン・マルコ寺院、サン・マルコ広場を一通り見た後、ヴァポレットで サンタ・ルチア駅まで行き、歩いてホテル方面に戻るということにしていた。しかし、見たいものを 考慮して地図とにらめっこした結果、歩いて駅の方まで行き、ヴァポレットを使って戻るという プランを選択した。まず、リアルト橋を目指して歩き始めた。何しろどこもかしこも街がきれい。 建物も目を引くものばかりで、カメラを構え続けている感じ。リアルト橋のような大きな端もそう だが、小さな水路にかかる小さな橋もきれい。かっこいい。ディズニーシーのゴンドラを思わせる 景色が途切れることなく目に飛び込んでくる。リアルト橋は渡らずにカ・ドーロへ向かう予定に していたが、リアルト橋を渡った先が大変にぎわっているのが見えたので、行ってみようということ になった。イタリア版竹下通り(失礼!?)のようなところであった。お面、Tシャツ、果物、パスタ、 ガラス、おもちゃ、etc...。いろいろな物が隙間なく並んだお店に並んでいた。屋台のような形態の お店も結構見受けられた。折り返してリアルト橋を渡り、予定のコースに戻る。カ・ドーロを 探しながら歩いていたが、運河沿いだったため見つからず(歩いている道は運河から一本入った道 だった)、そのままサンタ・ルチア駅へ。スカルツィ橋という比較的大きな橋を渡ってローマ広場 の方へ。明日の集合場所を確認することにトライ。インフォメーションをおとずれ聞いた。
ヴァポレットの24時間券を買って82番というヴァポレットでサン・ザッカリーアまで。ヴァポレット 初体験。写真、写真、また写真みたいになりました(笑)。ホテル近くのパスタ屋でランチ。 ご飯食べながら検討。近くに島にいくのがいいということになり、ガラスで知られるムラーノ島 というところに行くことにした。ヴァポレットの発券所で所要時間を聞いたところ、30分とのこと。 それなら十分行って帰ってくることができると判断。教えてもらった通り、41番ヴァポレットに 乗り込んだ。実際の所要時間は45分。さすがイタリア!?というか、イタリアの時間の流れでは30分 だったりして!?ムラーノ島で散歩とガラスの店探りを繰り返した。あとになればなるほど良い店と めぐりあうことができ、少しおみやげを買った。行きに降りた駅とは違うところからヴァポレットに 乗ってサン・ザッカリーアまで。夕焼けが始まって、見たことのない景色が360度広がっていた。 風が冷たく強くなってきて、寒かった。明日の朝乗るべきヴァポレットの時間を確認。嘆きの橋に 戻ってきたあたりで、朝とは景色の色が変わっていることに気付いた。朝と夜ということを頭の 中で考慮しても、同じ場所とは思えないほどだった。サン・マルコ広場も、まったく別の景色に なっていた。ホテルの近くのレストランに入り夕食。その後ホテルへ。明日は6:00起床。6:50出発。 フィレンツェに向けて出発する。
2004年3月15日(月) 東京:晴れ ミュンヘン:晴れ
成田空港へ向かう電車の途中駅で友達と合流。隣の車両に大学の先生が乗ってたり(^-^;)。 空港第2ビル駅に着くまでの間、旅行会社にもらった資料を元にガイドブックでホテルの位置を確認。 3都市ともよさげな感じだ。集合場所となっていた成田空港の団体カウンターで、搭乗券、ホテルと ホテル送迎のクーポン、移動日のクーポンと受け取った。あまりお腹も空いていなかったので (11:30頃)、セキュリティーチェックを受けて出国審査。免税店に立ち寄るが、何も買わずに退散。 ゲートに向かった。売店でうどんを購入。昨夜のてんぷら、今朝のもちに続いてうどんも食べ納め。
12:40頃、飛行機に搭乗。フライトは12時間45分らしい。とりあえず軽食。隣に座ったベルギー人の おじさんと英語で話す。おじさんの英語はドイツ語なまりでたまに語尾が違っている。プログラムが プログラミだった。イタリア語で「乾杯」は「サルーテ」って言うんだって教わった。これで イタリアでお酒飲む時は完璧だと正直思ってた。飲まないくせに(笑)。ランチはサーモンorビーフ でビーフを選んだら牛丼だった。おじさんによると、フィレンツェがいい街らしい。2回目の軽食で おにぎり食べ納め。食べ納めてばっかりだとちょっと凹むが気にしない。これからイタリアに行く のだ。隣のベルギー人は、飲み物のサービスとなるとお酒を飲んでいる(あとあと分かったことだが 、このおじさん、ベルギーでバーを経営している)。2回目の食事はパスタorシーフードでシーフード を選んだら中華丼だった。海鮮丼って言われてたんだけどね(笑)。寝たり起きたりでミュンヘンに 着陸。隣のおじさんと写真を撮らせてもらって、おみやげに柿の種を渡した。
飛行機から降りて、 乗り継ぐ飛行機のゲートを目指す。途中、入国審査。入国審査の人に、2人で張り切って ドイツ語であいさつしてみた。
2人:グーテン・ターグ!!
入国審査の人:×△○□※☆
2人:ぇ゛!?
入国審査の人:×△○□※☆
2人:ぇ゛!!??英語が聞き取れない!?
入国審査の人:in English ?
2人:Yes!! Yes!!
どうやらドイツ語であいさつしたがために、ドイツ語をしゃべる人だと思われたらしい。そりゃあ 知らない単語並べられてしまうわけだ。張り切り過ぎも問題であることが判明。英語に切り替わって 入国審査はスムーズだった。どこから来たか、これからどこに行くか、帰りのルートは どうなっているか、イタリアでの滞在はどれくらいか、イタリアに行く目的は何かなどを聞かれた。 ここまでたくさん聞かれたのは初めて。一仕事終えてほっとしたところで免税店で買い物。 「新しい」っていう日本語を知っている微妙に日本語をしゃべる店員に遭遇。"This is also 新しい" とか言われ微笑。20:50初のフライトなので、少し早いくらいだったがゲートを目指した。途中で 無料のお茶を入れていたら、現地人(?)にドイツ語で話しかけられた。何を言われているのか まったく理解できず、いい人なのかもしれないが、危険な目に遭っても困るので、その人が別の人に 話しかけられているすきに逃げてきた。"green tea"と表示されていたものにお湯を注いでみたが、 できあがった飲み物は、日本で飲む「緑茶」とは程遠いものだった。green teaって日本で飲む緑茶 と違うんだ!?散歩中、出発情報の電光掲示板を確認すると、ゲートの番号が違っている。これは 確認しなければということでゲート付近へ。電光掲示板の表示が正しいことが判明。まぁゲートが 変わるのはよくある話よね。NYでもそんなことがあったっけ。
ゲートで半券を受け取り、外に待機 していた(長い)バスに乗り込む。このバスで飛行機の近くまで行く。預ける荷物がある場合には、 収納庫のようなところに自分で入れるらしい。数段の会談が飛行機に取り付けられており、そこから 搭乗。入ってみると中は、横4席、縦16席の計64席しかない小さなもの。まぁ・・・NZで乗った国内線 よりはいいかも・・・。案の定、席はプロペラの横だった。プロペラの音は大きくなくて、さほど 問題はなさそう。乗り込む時に、客室乗務員が言ったあいさつの言葉が聞き取れなかった。あとで 考えると、イタリア語で「こんばんは」を意味する「ボナ・ノッテ」だったと思う。とっさに あいさつを返せなかった。 救命胴衣の使い方を、客室乗務員が実演で示していた。モニターを使わないで 説明されるのは初めてだった。離陸。ミュンヘンの夜景はきれいだが、あまり明るくなかった (空港だから?)。街と思われる方に目を向けてみたが、ビルのような大きな建物は 見当たらなかった。飛び立ってすぐ、旅行会社のパンフレットらしきものが配られたが、何を 言いたいパンフレットなのかよく分からない。Englishのところを読まなくては。とりあえず、 ローマの歴史と、ホテルのCMと地図が載っているらしいことは分かった。ヴェネチアに着くまで 機内で爆睡。サンドウィッチとお菓子、飲み物のサービスがあったらしいが。
空港に到着して、 その場で荷物を受け取ると思いきや(ミュンヘンで預けた人はその場で?と思ったので)、 すぐにバスに乗るように言われてバスへ。荷物は空港のビル内でベルトコンベアに乗ってくる ものを普通に受け取った。現地係員とどこで合流するのか分からずしばらくさまよったが、無事 合流。車とボートを乗り継いでホテルまで送ってもらった。ボートから見る景色にかなり感動。 ホテルに着いて、チェックインして部屋へ。朝食の時間などを聞きに再びフロントへ。最終的に 部屋に落ち着いたのは23:30頃。日本で自宅を出てから約23時間が経過していた。長い1日お疲れさま な感じ。夕ご飯を食いっぱぐれたような気もするし、日本時間で朝ごはんの時間だからお腹が 空いている気もする。明日は1日ベネチアの街をまわる。
最終更新日/2004年xx月xx日